本当にゆたかな

 こころを取り戻すために

 

ⅰ.学問のこころとは

  本当に理解するということ

 ①学問で使われる言葉

 ②はじめにおそれ、不安があった

 ③消化していないことばと知識

 ④日本のことば、西洋のことば

 ⑤日本と西洋のこころ

ⅱ.やさしいこころより

    観えて来る世界

 (対話するということへ)

 

ⅲ.身に付けることば

  (あいだを取り持つ言葉)

ⅳ.おのずからということ

ⅴ.本当に目指すべきこと

ⅰ―④日本のことば、西洋のことば

 前項でお話したように、どの国でも、はじめから消化・解決できるような言葉をつかっていたのではなかった。

それは、天と地、生と死という否応ない事実に、どう向き合っていけばよいのか、そう、うまく表現していけばよいのかを考えることになります。では、どいうすれば、うまく解決できる言葉を考えられるようになるのか。それは、考え方において、対象(他者)とそのあいだを結ぶのに、そのいぶきを感じつつあいだを取り持つ、つまり関係をうまく取り持つような言葉を考えればよいということになるとおもいます。つまり、その人のこころ・気持ちをくむ(汲む)ことにあるのだとおもいます。

ⅰ―⑤日本と西洋のこころ

 ここで、日本語と、学問の言葉である西洋人の言葉とのあいだを考えるのに、はじめに、日本と西洋の世界について考えてみたいとおもいます。 日本という国は、歴史的にみても、豊穣な自然がありかつさまざまな自然災害も多かったため、そのゆたかさから、よわいがやさしいこころ。そして災害の多さから自然を畏怖するこころを持つようになったとおもいます。よわいかもしれないけれど、やさしく、従順かつ個々の自然・生き物のいのちを大切におもう気持ちにあったのではないか、とおもいます。 一方、西洋という国は、自然がやせているため、その厳しさゆえ、自然環境を生き抜くのに、人との争いの中から、人の内側に輝く内なる光見出すという高みへ、、ひいては

人の内面だけでなく、自然の掟(科学)を見出すまで到達することになったのだとおもいます。つまり、西洋人の

こころとは、つよいかもしれないけれど、ものごと、人の内なる力(光)を見出すまでに至った、そのとおとい

(貴い)こころにあったのではないか、とおもいます。 このように、日本人は、あらゆるいのちを愛づる気持ちを、西洋人は、自らの内なる光を高める貴いこころを持っていると考えられます。